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タウン情報 詳細

もっと知りたい!「東林間」~街の歴史編~

「地元密着!」を合言葉にお得なマンション・住宅情報をお届けしている「センチュリー21中央ハウジング中央林間店」がお送りするタウン情報もいよいよ「東林間」周辺エリアまで到達!です。 旧「林間都市」の中でも、異色の存在となる「東林間」だけに、知っていれば役に立つ!(かもしれない)歴史の裏話や逸話をご紹介いたしましょう。

「林間都市」計画のカギを握る? ~ブルーカラー・タウン「東林間」~

これまでにも何度もご紹介してきた、小田急江ノ島線における最大の、将来的な「首都移転」すら視野に入れた壮大な計画都市ミッションであった「林間都市」計画。
実はこの街づくり計画において、重要な「職」の役割を一手に引き受ける形となったのが、今回ご紹介の「東林間」だと知らない方も少なくないと思います。
他の「林間都市」駅と同様に1929年(昭和4年)小田急江ノ島線と共に開業した「東林間都市」駅は、「林間都市」中唯一、現在の「相模原市南区」の大部分を占める「高座郡大野村(大字上鶴間)」に属していた地域でした。
(現在、大和市となっている「下鶴間」は駅開業当時「高座郡大和村下鶴間」)
その影響もあり、地域特性の面でも「中央・南林間」エリアと異なる部分が多い「東林間都市」は、宅地ではなく隣接する「産業都市」としての役割を担うこととなります。
都市計画を進めていた小田急は、急ピッチで「中央・南林間」エリアを宅地化すると同時に、「東林間」に大規模な工場を誘致し始めましたが、この誘致が後年、「東林間」エリアを悩ませることとなります。

翻弄される都市計画、「軍都」へと変わっていこうとする「東林間」

折しも、時代は戦争へと向かっていく時期。
1937年(昭和12年)、小田急小田原線の地域である「座間」(現在の「キャンプ座間」)に、陸軍の士官学校が移転する所から、雲行きは怪しくなります。
同年の12月には時の天皇陛下による「行幸」が行われたことで、瞬く間にこの一帯は「軍的なトレンド」(この行幸の際に通った道路は、現在でも「行幸道路」と呼ばれているほど)を迎えることとなりますが、次々と軍の重要拠点や、士官のための施設が建設、または移転する中、宅地の販売を進めていた「中央・南林間」の土地・住宅を、軍高官がこぞって購入する…といったように江ノ島線の方面まで、その影響は進んでいくこととなりました。
さらには、現在の大和市(大和村→大和町)よりも、相模原市(大野村)寄りに軍都計画が進んだことから、「東林間」はより強力に軍都化への道を歩む位置づけがされていくようになります。
戦争への道をひた走る日本、正直、計画都市どころの騒ぎではなくなったことから、最終的には1941年(昭和16年)の駅名変更(各駅から「都市」の2文字が消える)が行われ、「林間都市」は事実上、断念せざるを得ない所まで追い込まれてしまうのです。

「東林間」の受難は続く…。 ~GHQによる「農地法」との戦い~

歴史に詳しい方でなくても、戦後の日本がGHQ(連合国総司令部)による様々な改革を推し進めざるを得なかったことはごぞんじでしょうが、この中に厳しい「農地改革」が含められていたことは知らない方も多いはず。
この改革に含まれていた「農地の不在地主による所有禁止」により、すでに売却済みの宅地となっていた他にも、開発予定地だった箇所の多くが「農地」とみなされただけでなく、その地主が小田急であり「不在地主」であるとして指導を受ける羽目になってしまうのです。
そして、このあおりをモロに受けたのが「東林間」でした。
他の「中央・南林間」をはじめとする土地は、戦後の食糧難から一時的に畑や農地になっていましたが、施設用地やすでに所有者がいることを証明するなど、「農地法」を回避できたのとは逆に、「東林間」は将来的に畑となるべき「未墾地」として、非常に安い金額で買い叩かれてしまうこととなってしまったのです。(もちろん用地買収の際の価格を大幅に下回る価格です)
ここで前述の伏線が、悪い部分で回収されてしまいます。
「東林間」は、「林間都市計画」の際の工場の誘致が実現しなかったため、広い範囲で空いていて、そのために「未墾地」とみなされてしまった、というわけです。
この打撃により、他の土地に先駆けて「東林間」が小田急の手を離れ、完全に「林間都市計画」は終りを迎えることとなってしまうのでした。

「相模原市」としての再出発 ~「東林間・再起動」~

話は一瞬現代に戻りますが、皆さんは「東林間駅」が住所の上でどこにあるかごぞんじですか?
「そんなのもちろん東林間でしょ?」
いえ、実は、違うのです。
地図上で見ると「東林間駅」を含む小田急江ノ島線を境に「東林間」と「上鶴間」に分かれていますが、厳密に言うと駅の施設は「上鶴間七丁目」に含まれています。(「東林間駅」施設の中で、西口出口のみが「東林間」に立地)
この原因は「東林間」という地名が後になって「新設」されたため。
(1967年(昭和42年)に新設)
わずか1~2年といえ、「中央・南林間」から遅れて新設されたことからも「東林間」という名前の定着が遅れたことがわかります。
しかし、再出発・復活という点で考えると「相模原市」に属していたことが大きなアドバンテージとなりました。
実はこの「相模原市」純粋な意味で「戦後、新設で市政移行(1954年)したうち、国内で最も人口が多い都市」であり、発展・開発のスピードも非常に早い「優良物件」なのです。
なおかつ、市内を国道16号線が走っており、交通網・物流網の中心地としてだけでなく都心部・横浜方面へのアクセスも容易なことから、早くから「ベッドタウン」として注目を集めていた市でもありました。
このような状況下で、「東林間」は急速に宅地化が進み、現在のように多くの人々が住む住宅地へと「再起動」を果たします。
まるで時を越えて「林間都市」計画の一部が実現したかのような印象を受けませんか?

まさに複雑怪奇? 地元住民も悩む、「東林間」道路事情

これまでも「東林間」が、他の元「林間都市」とは異なった道を歩んできたことをご紹介してきましたが、最後にもうひとつ「東林間」が異色の存在である所をご紹介しましょう。
皆さんはこの「東林間」エリアを車や徒歩などで散策してみたことはあるでしょうか?
実際のこのエリアを歩いたり、車で走ってみたりすると気がつく点なのですが「中央・南林間」と異なり、細い道や一方通行、行き止まりや斜め道など、実に入り組んでいる箇所が多いのです。
「中央・南林間」方面は、かつての都市計画の名残からか、碁盤の目状に道路が設定されている箇所が多く、わりかしわかりやすい道の多いのとは対象的なこの道路事情、慣れているハズの地元住民ですら迷うことも。
「どうしてこんなことに?」という疑問にお答えするならば、これもある意味、前述の「農地法」が原因となって引き起こされた事態だといえます。
「未墾地」として取り上げられた「東林間」は、その大部分が一旦農地化された後、急速に宅地化が進んだ場所。そのため、「農道」のまま宅地化してしまい、住宅地としては適していない道路事情となってしまったことによるもの。
興味のある方はGoogle Mapなどで上空からの視点で見てみると、違いがわかりやすいかもしれません。
都市計画中止以降、数奇な運命に巻き込まれ、独特の復活を遂げた「東林間」。
今後もたくましく発展を続ける「東林間」に住もう!住んでみたい!と思った方は、お気軽に当店までご相談ください。

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