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日本のプロ野球界を盛り上げた名将・野村克也監督の生前の活躍とは?

2020-03-25

はじめに

プロ野球選手やコーチ、監督などで活躍した野村克也監督は、2020年2月11日、虚血性心不全により84歳でこの世を去りました。
プロ野球界において名選手、名監督として数々の実績を残し、野球解説者やタレントとしても人気を集めた野村監督の訃報を多くのファンが悼みました。
今回は、日本を代表する野球人として、プロ野球ファンに愛され続ける野村監督の活躍やエピソードなどをご紹介します。


プロ野球黄金時代を支えた不屈の精神の持ち主、野村監督とは?

「ノムさん」の愛称で親しまれた野村監督は、選手時代には捕手として世界初の三冠王に輝いた実績を持ち、ヤクルトスワローズ監督時代は3度の日本一にも輝くなど、日本のプロ野球黄金時代を支えてきました。
華々しい経歴が話題となっている野村監督ですが、幼少時代は貧しい環境で育ち、女手一つで育ててくれた母親を助けるためにプロ野球選手を志しました。

1954年の南海入団後は、変化球に弱いなどの弱点を克服しながら、当時無名だった南海をリーグ優勝に導きました。
しかし、当時のプロ野球界はセ・リーグが圧倒的人気で、巨人の長嶋茂雄や王貞治と比べると注目度は低いものでした。
報われない境遇の中でも野村監督は、「巨人の長嶋が太陽を浴びる向日葵なら、ワシは夜な夜な月を見上げる月見草や」と、反骨精神を込めた名言を残しています。
データを駆使しながらプレーを進める「ID野球」、選手の再活躍を支える「野村再生工場」など、頭脳と努力を駆使しながら、最後まで真剣に野球と向き合い続けてきました。
その教えは、今もなお次世代に受け継がれています。


野球への強い執念で、数々の実績を残した野村監督の選手時代

高校卒業後、契約金なしのテスト生という名目で南海に入団した野村監督。
入団当初は目立たない存在だったものの、多くの努力を重ねてレギュラーを勝ち取ります。
筋力を鍛えて肩を強化させる、真っ直ぐに遠投するために身体全体を鍛えるなど、皆と同じことをしても生き残れないという考えのもと、独自のトレーニングを続けていました。
後のID野球の基礎となる、ライバルのクセを見抜き、分析する頭脳や洞察力も磨きながら、1957年から8年連続で本塁打王に、1965年には戦後初となる三冠王にも輝くなど、数多くの実績を残しています。
南海退団後はロッテ、西武で活躍し、西武移籍後に3,000試合以上の出場を達成。
1980年11月15日に正式に引退表明した野村監督は、26年もの選手人生に幕を閉じ、翌年から解説者としての道を歩むこととなりました。


3度の日本一!名将として大活躍した野村監督!

※掲載画像は全てイメージです。

選手引退後の野村監督は、野球解説者、評論家を経て1989年にヤクルトの監督に就任。
就任直後は健康面での不安や世間のネガティブな報道にも悩まされるなど、順風満帆なスタートとはいえませんでした。
しかし、ライバルの分析や観察を繰り返しながら点数を奪う方法を導く、データ重視のID野球を確立。
チームを改革し、4度のリーグ優勝、3度の日本一と、ヤクルトの黄金時代ともいえる実績を残しました。

ヤクルト退団後の1998年、阪神の監督に就任しましたが3年連続で最下位に終わりました。
野村監督は阪神を再建させるために選手たちに熱心にアドバイスを続け、在任中は結果を残せなかったものの、後任の星野監督に数々の教えが引き継がれたことで、再び阪神は優勝することができました。

阪神退団後の2003年~2005年、社会人野球チームのシダックス監督に就任しました。
当時低迷していたシダックスの再建に力を注ぎ、全国制覇の最強チームへと導きました。

そして、2006年。
楽天の監督として5年ぶりにプロ野球界に復帰しました。
チームの再建として若手選手の育成に励み、2009年には球団初となるクライマックスステージへの進出。
監督退任後の2010年からは野球評論家として復帰し、フリーの野球解説者や日本大学客員教授などで活動していました。


野球愛を「ぼやき」ながら、沙知代夫人を愛し続けた野村監督

野村監督が残した数々の「ぼやき」は、プロ野球界や選手などへの思いや皮肉を印象的な言葉で表現し、時に人生訓にもなることで人々の関心を集め、「野村語録」として記録されています。

楽天監督時代の2009年には、「ぼやき」が新語・流行語大賞のトップ10入りも果たしました。
また、2017年に死去した野村沙知代夫人とのおしどり夫婦ぶりも有名です。
前向きな言葉よりも、「ぼやき」を口にする野村監督は、気丈で明るい沙知代夫人の支えがあったからこそ、激動のプロ野球界を生き抜いていけたのではないでしょうか。


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