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「祝『令和』勝手に認定!エリア別地元「世界遺産」ガイド ~南町田編~」

2019-06-25

「センチュリー21中央ハウジング中央林間店」がお送りしているタウン情報、新シリーズとなる「祝『令和』勝手に認定!エリア別地元「世界遺産」ガイド」も折り返し地点を過ぎました! ごく簡単に趣旨をご説明すると、せっかく新しい元号である『令和』を迎えたのですから、本家に匹敵するような価値を持つ地元の名所を「勝手に」認定して、より地元愛を深めていこうという「少々強引な企画」(笑)です。 本家にならい、勝手に認定する方も「自然遺産」や「文化遺産」、ましてや「複合遺産」などの各種類を取りそろえ、最終的にはそれら遺産の「歩き方」までご紹介しています。 今回は皆さんごぞんじ「南町田」をテーマに据え、勝手ながら「世界遺産」を認定していきますよ!

勝手に認定!「自然遺産」部門:「古来から周辺環境・文化圏をつかさどる 境川」

今回の「南町田」編では、かなり久々に「自然遺産」部門が再登場!
しかし、「自然遺産」なんてあったっけ?と思う方もいらっしゃるかもしれません。
さっそく「勝手に認定自然遺産」に選出された場所を発表すると、このエリアに限らず、近辺の地元住民であればその名を知らぬものなどいないであろう、あの「境川」です!
地元の方にとっては生活に密着していることもあり、知名度の高い「境川」ですが、その成り立ちや歴史などは思いのほか知られていませんので、少しご説明すると...。
考古学的にこの「境川」の痕跡が明確に見られるのは、なんと今から約2万年も前のこと、私たち現生人類とほぼ同様の特徴を持っていたとされる「クロマニヨン人」が人類の主流となった「後期旧石器時代」にさかのぼります。
(この頃の遺跡も、相模原市を中心に数多く残っています)
その後、古代から中世を通して、常に「境川」流域は、支配者と庶民が存在し、「居住地域」としての立場を確立します。(常に近くに人が住んでいる状態)
しかも、現在ではおおまかに「東京都と神奈川県の境」として知られていますが、この頃は「相模国と武蔵国の境」として正式に「境川」と名付けられました。(1594年(文禄3年)の検地によって命名されたそう)
しかし、その後、近世~現代に至るまでは「荒ぶる川」としての記録が数多く残っており、たびたび氾濫や大洪水の舞台となっていたそうで、国(当時)や自治体の境でありながら、両岸の住民や有力者同士の危機に対する結束が固く、副産物としての「積極的な生活交流」も現代に残しています。
(両岸で町名が同じ個所が多く見受けられるのはこのためです)
そんな歴史に思いを馳せながら、見違えるように穏やかな「境川」を見れば「自然遺産」としての選出も、多くの方にご賛同いただけるのではないか?と筆者は思います。


勝手に認定!「文化遺産」部門 :「田園都市線とともに変わりゆくモダンな住宅地 南町田の街並み」

続いては、「文化遺産」部門のご紹介をしていきましょう。
選出されたのは、駅が属する「田園都市線」の発展とともに「住宅地」としてのあり方も変わっていった「南町田の街並み」そのものです。
そもそもこの地は、古くから地元に住む人々からは「南(地域)」として呼ばれていたのですが、それは前身となった「南村」の名称から来ています。
1954年(昭和29年)にこの「南村」が、すぐ近くにあった「町田町(初代)」と合併したことにより、新生「町田町」がスタートしたわけですが、実はこの「町田町」、現在の「町田市」の一部でありルーツともいえる存在でした。
このような背景もあり、1976年(昭和51年)に駅が新設された際「南町田」という駅名が付けられたのですが、驚くべきことにそれからかなりの間「地名として存在しているわけではない」状態に陥っていたんです。(町名として正式に「南町田」が成立したのは、2016年(平成28年)のこと)
しかし、それ以前の2000年(平成12年)ごろから、町名としては存在しないはずの「南町田の街」は、シンボル的存在のアウトレットモール「グランベリーモール」の開業とともに「モダンな新興住宅地」の代表格として、多くの人に知られることになっていくのです。
「グランベリーモール」の雰囲気に合わせ、欧風なマンションが立ち並ぶようになり、東名高速や国道16号線・246号線とも近い立地を持っているおかげか、当時の住宅購入層から人気を博した「南町田の街」は「田園都市線」の沿線駅の多くと同様に注目を集めました。
しかも、ごぞんじの通り、2019年の今年後半には「グランベリーパーク」としてモールの営業が再開、それに合わせ駅名の改称や街づくりの計画も進ん
でおり、当時以上の盛り上がりを見せることとなるでしょう。
今後も開発や大型商業施設の発展とともに、その姿を変えていくであろう
「南町田の街並み」。
そこに住まう人々のライフスタイルや価値観の変化も含め、「文化遺産」としてこれ以上ふさわしい存在もなかなかないと思いますよね?


本家を知ろう!「世界遺産」の豆ちしき:歴史の前に消えていった「世界遺産」 ~「抹消された危機遺産」その②~

さてさて、続いてのセクションは、一旦今回のエリアから離れ、本家である「世界遺産」に関する豆知識をご紹介していくコーナーですが、今回は「小田急相模原」の回に続き「抹消された危機遺産」のその2をお送りします。
今回はこれまで2例ある内の2番目となる「抹消世界遺産」、ドイツの「ドレスデン・エルベ渓谷」の経緯をご紹介するのですが、こちらは前回のものとは異なり「世界遺産登録→危機遺産リスト入り→登録抹消」の、ある意味正当なルートを経た「抹消遺産」でもあります。
そもそも、この「ドレスデン・エルベ渓谷」が登録されたのは2004年(平成16年)のことだったのですが、10ある「登録基準」の内4つを満たすほどの代物でありました。
しかし、「ドレスデン市街の渋滞」という問題を抱えていたドイツ政府は、緩和のための「架橋計画」を10年以上前から議論している状態(登録時に世界遺産委員会への申請書にも明記されていた)で、登録の同年にはこの建設計画が住民投票により「可決」されることとなりました。
この事態に対して、2006年(平成18年)の「世界遺産委員会」では、橋が建設された場合、世界遺産としての「顕著で普遍的な価値」を損なうと判断、「危機遺産」への登録を決議し、建設計画の再検討をドレスデン市に申し入れる動きを見せます。
この動きに対し、一度は建設再検討への歩み寄りを見せたドレスデン市でしたが、市が属する「ザクセン州」が異を唱え、自然保護団体によって提訴されていた「橋の建設撤回」をめぐる裁判を控訴、一審の判決を覆し、再度「建設決定」を勝ち取ることになってしまうのです。
その後、2009年(平成21年)にはとうとう「世界遺産登録抹消」の憂き目にあうのですが、わずか3年余りで2つの「世界遺産」が登録を抹消される事態は世界中に衝撃を与え、逆にそれ以降は「危機遺産リスト」からすべてが回復・回避されるようになってきています。
やはり、自国はおろか、他国とはいえ「危機遺産」や「抹消遺産」は回避・解消してほしいものですよね。


エリア別・勝手に「世界遺産」の歩き方! ~南町田の場合~

今回も最後のセクションは、「勝手に認定世界遺産」を見に行く際のガイド情報をお届けしましょう。
ただし、今回はどちらのスポットも「範囲としてかなり広い」ため、のんびりゆっくりと一日かけて、長めの散歩をするイメージで回るとよいでしょう。
ただし、今回のルートは大きな幹線道路の近くを横断する機会も多いであろうと思われますので、交通には十分ご注意を!
なおかつ、季節によっては水分補給をしっかりとして、熱中症などにならないようにしてくださいね?
さて、今回のシリーズもそろそろ最終回に向けて一直線!
「南町田編」はいかがだったでしょうか?
さまざまな名所が存在する「南町田」のお住まいをお探しの際は、当店までお気軽にご連絡ください。


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